第八章 ~オタク文化の殿堂から世界のアキバヘ-変容する街・秋葉原の新しい時代~


秋葉原は常に混沌としたエネルギーの渦の中から、その時代を象徴するような新しい萌芽を生み出してきた。その時々に人々が求めるニーズに応えながら、変化と発展を繰り返し、一人ひとりの記憶に、秋葉原という街の存在を刻み込んできた。ラジオ、ハム(アマチュア無線)、テレビ、家電製品、オーディオ、マイコン、PC、ゲームソフト、ビデオコンテンツ…それら時のトレンドを手にすべく、この街に足を運んだ思い出は、誰しも一度ならずあるはずである。
ラジオ部品を取り扱う電気街として発展してきた秋葉原が今や、マンガ・アニメ・フィギュアなどのポップカルチャーの情報発信地として世界の注目を集め、海外からの旅行者を惹きつけてやまない理由も、そうした底知れぬ変化のパワーが為すものといえる。秋葉原が扱ってきた、その時代のトレンドは電気製品であれ、ゲームソフトであれ、フィギュアであれ、世界に誇る高い技術力に裏打ちされたものであり、それこそが秋葉原が世界とつながる原動力となっている。

ITバブル崩壊と秋葉原の変容

2000年-ITバブル崩壊の衝撃が全世界を駆け抜けた。1990年代後半にアメリカから始まったインターネット関連のベンチャー企業の勃興は、株式投資の異常な高まりにまで発展した。2000年3月には絶頂期を迎えたものの、米連邦準備制度理事会の利上げを契機に株価が急速に下落、それまでアメリカ同様の動きを見せていた日本の株式市場も、ネット関連銘柄が大幅に値を下げ、バブルはあっけなく潰えた。このITバブル崩壊の影響は、パソコン部品を扱う専門店が並ぶ秋葉原にも少なからず及んだ。電化製品を中心に栄えてきた街は、この2000年を境に大きく変容する。

ポップカルチャーの担い手の登場

1990年代後半から、不振の電化製品販売に取って代わるように、秋葉原の街にはアニメやゲームマニア対象のソフトウェアを扱う店舗が増え始めた。もともとPC部品を買い求めて専門店に足繁く通っていた「オタク」と呼ばれるパソコン愛好家が、ゲーム、アニメ、フィギュアに興味の対象を広げていったことから、そうした需要に応える形で店の様相が変化、メイド喫茶なども数多く登場した。2004年、インターネットの電子掲示板「2ちゃんねる」への書き込みから生まれた「電車男」がブームとなったことなどを契機に、オタク文化が一部のマニアのものから次第に一般化・大衆化し、その中で秋葉原もまた、徐々にコンテンツ産業の中心地として注目を集めていく。「アキバ系」という言葉が登場するのもこの時期であり、以降、秋葉原はポップカルチャーの発信地として世界的に知られるようになっていく。

世界のアキバへ


マンガ、アニメが海外に紹介され、ファッションを含めた日本のポップカルチャーが欧米諸国を中心に”Cool Japan”として評価されるにつれ、秋葉原もまた「Akiba(アキバ)」と呼ばれ、世界の若者が憧れる「聖地」として、その認知度が高まり、海外からの観光客の数が増加していった。
海外から日本を訪れる観光客の数は、観光庁が訪日外国人旅行者年間1000万人達成を目標に掲げてスタートした「訪日旅行促進事業(ビジット・ジャパン事業)」の効果もあって、2010年には861万2千人となり、前年比26.8%の増加と着実に数を増やしている。

以前から秋葉原は、電化製品目当ての外国人旅行者が免税店に立ち寄る街ではあったが、最近は多数のツアー客が大型観光バスで乗り付ける光景が常態化し、フィギュアやアニメグッズを買い求める外国人の姿をよく見かける。街の取り組みとしても、海外旅行者を対象にした秋葉原ツアーを実施し、無料の案内を行うなど、インフォメーションの充実化、情報発信の積極化、受け入れ体制の整備など、さらなる観光地化に向けた機能強化に取り組んでいる。

変わり続ける街・秋葉原

随所に昭和の匂いを色濃く残し、整然と混沌が一体となったバザールのような躍動的パワーが秋葉原の魅力とすれば、「アキハバラデパート」の閉店は、街の変容を示す一つのエポックメイキングな出来事といえる。
1951年に開業、JR秋葉原駅に直結した商業施設として日用品の販売店や飲食店が軒を連ねていた「アキハバラデパート」は、2006年12月31日、55年という長い歴史に幕を下ろした。

老朽化を理由とした建て替えにより、2010年11月19日、跡地に駅併設型デパート「アトレ秋葉原1」がオープン、このエリア初出店の39店舗を含む46店舗が展開するなど、秋葉原の表玄関・電気街口は、その容貌を一変させた。昭和レトロな趣は姿を消し、新しい秋葉原の顔が、そこに誕生した。
さらに2011年1月23日には、2008年6月に発生した無差別殺傷事件を機に中止されていた歩行者天国が試験的に復活、1973年からの歴史のある行事が再開されることで、秋葉原は新たな一歩を踏み出した。安全で安心な街という意味を込めたメッセージとしても、ホコ天の復活は大きな意味を持つ。こうした動きの背景には、街づくりを総合的な見地から検討することを目的として設置された地域の連携部会「アキバ21」の果たす役割が大きい。地域の自主ルールとして「みんなで協力、安全・安心、元気なアキバ」をスローガンとする「秋葉原協定」を制定、電気街を取り巻く地域全体が一丸となって秋葉原という街の向上・活性化に積極的な姿勢で取り組んでいる。
これまで秋葉原は、変化すること自体を街の活力源としてきた。秋葉原が”Akiba(アキバ)”となって世界的な存在になっても、混沌をエネルギーとしながら変わり続けていくことは間違いない。その変容こそがこの街の魅力であり、秋葉原たる所以なのである。